2009年02月20日

自民党について・その1

郵政選挙を例外として、
自民党の勢力は衰退の一途にある。

そして郵政選挙の一瞬の輝きの後、
野党に落ちるということを一足飛びに越えて、
党の存亡の危機といっても決して過言ではない状況に置かれている。

自民党がここまで崩壊しようとは、さすがに予想外である。
意思決定システムは作動しないし、
野党の政策について建設的な批判をするということもないし、
スキャンダルは噴出しすぎてもはやツッコミきれない。

ウソだと思われるかもしれないが、
ここまでの事態になったことを、私はそれほど喜んではいない。
本当である。

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もしかしたら日本の政権交代というのは、
王朝の交代のようなものになるのかもしれない。
自民が潰れて民主、民主が潰れて■■、■■が潰れて○○、
というように、つねに1つの巨大政党が政権を担う、と。

もちろんそれはまだわからないが、
仮にそうなったとしたら私は困る、と言いたい。

多党制は二大政党制よりいいと書いたばかりだが、
二大政党制でも、少なくとも一党独裁よりはマシだ。


巨大化した民主党が分裂して「民主A」と「民主B」が
二大政党をなすということも可能性として考えられなくはないが、
今のところはおとぎ話に過ぎない。
小選挙区制において、大政党から飛び出すということはきわめて難しい。

新しい政党の出現という可能性もあるが、
それはもちろん自民党の再建よりも道のりが遠かろう。


なので、さしあたっては自民党再建の可能性を考えてみたい。

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しかしその前に、
現状把握という意味で、野中尚人氏の議論を紹介する。

学習院大学の教授で、
著書に『自民党政治の終わり』という名著がある。
この本はおすすめしたい。

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http://www.videonews.com/on-demand/0391391400/000794.php

 野中氏の言う自民党システムとは、族議員が多様な意見をボトムアップで吸い上げ政策に反映させる、高度に民主的な仕組みを含んでいた。また、政務調査会など党内に巨大な政策立案機能を抱え、国会に諮る前に族議員を中心に党内で丁寧な合意形成を行う点も、自民党システムの特徴だった。
 族議員が合意形成や意見集約に機能を果たす一方で、派閥が若い議員の面倒を見るとともに、政治教育の場を提供してきた。そして、派閥の幹部が説得することで党内での合意形成が可能となり、小選挙区制や消費税の導入など困難な法案を成立させることが可能だったと、野中氏は指摘する。また、一見、当選回数による派閥順送り人事のように見えて、実際はポストをめぐる熾烈な競争も裏で繰り広げられていた。
 ところが、小選挙区制の導入によって自民党システムの要だった派閥制度は崩れ、トップダウンの小泉改革で、ボトムアップの根回し型意志決定システムは、完全にその息の根を止められてしまった。冷戦構造が崩れ、日米同盟がもはや自明なものでなくなったことも、高度成長が終わり、自民党システムを使って配分する利益が消えてしまったことも、自民党システムをさらに弱体化させる原因になったと野中氏は指摘する。
 自民党システムが機能するための前提が崩れ、システム自体が崩壊した今、自民党がこの先も長期にわたって政権政党の座にとどまり続けることは困難だろうと、野中氏は予想する。また、もし仮に自民党が政権にとどまることになったとすれば、それは党名は自民党のままでも、実質的な中身は、これまでの自民党とは全く違ったものになっているはずだとも言う。
 しかし、もし仮に野中氏の言うように、自民党システムが機能しなくなっているとしても、それを全否定することには注意が必要だろう。その中には、日本が時間をかけて培ってきた普遍的な資産が含まれている可能性も十分にある。一旦これを失えば、次に政権の座につく勢力は、ゼロからすべてを再構築しなければならなくなる。

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私の意見も加味し簡単にまとめる。

「自民党政治終焉」の構造的な要因
・冷戦の終結→野党に政権を託すことが可能に
・高度経済成長の終焉→利益誘導政治が困難化
・中選挙区制の終焉→政権交代可能な制度に+派閥の弱体化
・派閥の弱体化→人材育成、政策立案、利益誘導システムが弱体化

小泉政権がもたらしたもの
・「小泉改革」→郵政はじめ支持母体の切捨て
・「官邸主導」→自民党のボトムアップ的意思決定システムを破壊
・格差社会の招来→「国民全体」の利益を包括する政党であることを放棄


なお私は、
派閥や族議員など「自民党システム」と呼ばれるものが、
政治の腐敗、税金の無駄遣い、利権の発生などを
もたらしてきたことは無視しようというものではない。

そういった面に対しては批判をおろそかにしてはならない。

そういう負の側面がある一方で、
ともかくも自民党が政権を維持し、
戦後日本を支配する原動力になったことは事実であろう、
と言うまでのことである。

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続きはまた今度。

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posted by socialist at 13:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

思考実験:全刑罰を廃止せよ

私は死刑廃止論者である。

最大の理由は、「殺人がいけない」ことになっているのだから、
国家によって殺人を行うことも、いけないと思うからだ。


すると、あなたはこう反論するかもしれない。

「それでは、懲役刑や罰金刑はどうなるのだ。人を監禁すること、人からお金を奪うこともいけないのではないのか」


私は、こう答える。
「その通りだ。懲役刑も、罰金刑も、やってはいけないことだ。全刑罰は、廃止されるべきだ」


こう反論されることは想定している。
「大それたことを言うな。刑罰を廃止してしまえば、たちまち犯罪だらけになることが目に見えている。すると、『殺人はいけない』とか『泥棒はいけない』という価値観は、実際には踏みにじられることになってしまうではないか」


ここまで来て、ようやく、私は本当に言いたいことが言える。
「わかった。それでは、殺人や泥棒を減らすことができる、犯罪者を立ち直らせることが期待できる、という範囲では、国家による刑罰を認めよう。ところで、死刑はどうだ。罪人を殺すことに、教育効果はありえない。抑止効果も、実際にはさして期待できないというではないか。加えていえば、死というものは不可逆の変化であるし、別のもの、たとえば金銭によって補償することもできはしない。死を刑罰に利用することは、冤罪の可能性がある以上適切ではない」と。

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別の視点からの反論があろう。
「被害者の感情はいったい何とする。たとえば近親者を殺された人物の感情を、犯人の死刑以外によってどうやって慰めるのだ」


しかし、こう考えられないか。
「人間が憎しみという感情を持つことは当然であり、避けられもしない。しかし、それを実行することは戒められなければいけない。殺人への復讐として殺人を行え、などという主張は私怨以外の何物でもなく、国家がそれを代行するに足る根拠は何もない。人間世界では、さまざまな軋轢に満ちており、憎しみが生じることもあるが、しかし、その感情を誰かにそのままぶつけることは、やはり罪となるのである。あなたが私を殴ったからといって、私にあなたを殴る権利が付与されることはない。なぜ、例えば『殺人の被害者に近しい者』の主張のみが特権的に取り上げられ、加害者が殺されなければいけないのか。もちろん近親者を殺された人間の悲しみは察するに余りあり、可能な限りの慰めをすることにやぶさかではないが、復讐の権利を付与することだけはできない。それは結局、『殺人はいけない』という価値観に背を向けることに他ならないのだ」と。

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posted by socialist at 12:16| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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